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あとがき サラリーマンのみなさんへ
1990年7月11日、この日はぎらぎらとした夏の日射しが遠慮会釈なく照りつけていました。
午前10時半、私は大手シンクタンクに勤めている友人と、山の手線の五反田駅頭で待ち合わせました。二日酔いではなかったのですが、朝と暑さに弱い私はなかなか足が前に進みませんでした。日射しの強さに閉口していただけではなくて、足取りが重かった理由の一つには、私自身が望んでこの会社に赴くわけではなかったということがあったと思います。友人が、NTT関連の調査の仕事をしていて、「ダイヤルQ2についてレポートしなければならないので、最大手のダイヤル・キュー・ネットワークを紹介して欲しい」と頼まれたのです。私も直接知っていたわけではなかったのですが、仲良くしていただいている弁護士の先生がQネットの顧問をしていて、なかなか有望な会社だと聞いていました。そこでこの先生にご紹介をお願いし、なりゆきで私も同道することになったのです。当時プレジデント社入社4年目でベンチャー企業の取材ばかりしていた私ですが、ニューメディアに対する認識は浅く、このサービスにはほとんど関心がなかったのでした。
炎暑の中、教えられたとおり線路際を10分ほど歩いて、Qネットが入っている巨大なマンションにたどり着いたときはほっとしました。エレベーターを降りてすぐの、家族連れが住んでいてもおかしくないようなありふれた住戸のインタフォンを鳴らします。すぐに学生みたいに若い社員が顔を出し、扉が開かれて、入り口間際の小部屋に通されました。部屋の中央に素っ気ない白いテーブルがおいてあり、そこに電話が1台、ぽつねんと置かれていて、それ以外にはまったく何もない、飾り気のない部屋だったと記憶しています。
しばらくすると私と同年輩の、生真面目そうな表情の総務担当の青年と、噂の東大生社長の玉置真理さんが入ってきました。今思えば、この青年は西山さんではなかったかと思うのですが、定かではありません。友人はてきぱきと事務的にQネットのサービスについて質問をしていきます。質問にはもっぱら青年の方が答えていました。私の耳に残っているのは、この会社のサービスはQネットセンターと、パーティーラインの2つに分れているということだけで、Qネットセンターの内容説明についてはお恥ずかしい話ですが、頭がついていかなくて理解できなかったことを憶えています。他人のインタビューを傍観していることくらい詰まらないことはないのですが、私はそのうち玉置さんが一言も喋らないことが面白くなってきました。それで私は無理に彼女に質問を振るのですが、彼女はほとんど受け答えをしません。実は玉置さんも朝が弱かったんですね。
そのうちに青年が、「では実際にパーティーラインに接続してみましょう」と言って受話器を取り上げ、ダイヤルを始めました。このシステムは10人の人が同時に話せるというものですが、平日の午前中だというのにどの回線も満員で、何度かけ直しても繋がりません。これにはいささか驚きました。ここまで人を惹きつけるのは、もの凄い競争力を持ったサービスなのかもしれません。結局繋がらなくて、パーティーライン体験はお預けになってしまいました。友人が満足するまで話を聞いてから、私たちはQネットを辞去しました。
その1年後、この会社は雲散霧消していたのです。
当時25歳だった私は、足掻いていました。
仕事に飽きたらなかったのです。当時私は、企業の広報誌を請け負ってつくる仕事をしていて、山一證券の仕事でベンチャー企業の取材に明け暮れていました。「もっと面白い人や、もっと面白いことが世の中にはいっぱいあるはずだ。自分はあまりに未熟だし、何も知らなさすぎる。どんどん新しい人に出会いたいものだ。新しい知識を吸収したいものだ」。私は毎日そう考えていたし、勉強会と名がつけば新興宗教の集会にまで出かけて行ったものです。東京円卓クラブにも丸の内青年倶楽部にも顔を出していました。そして自分自身でも、人に誘われて89年から勉強会の世話人をするようになり、98年まで「場」の運営を行っていました。つまり、私はネットワーカーだったのです。自分自身はさして魅力のない人間でも、周囲に魅力のある人を引き込むことで、知識や情報を得たり強力な人脈を得ることができる。編集者としてのその後の私の仕事は、この自分が運営していた「場」がなければ、さらにみずぼらしい結果しか残せなかったでしょう。
従ってこの本には、私の年来の友人も何人か登場します。彼らも私同様に何かを求めて勉強会という場に集っていた人々でした。私はその場の雰囲気をありありと思い出すことができます。「誰か面白い奴はいないか」というのが、挨拶代わりでしたし、人を紹介するときには「彼、面白いよ」というのが褒め言葉でした。なぜなら誰もが、影響を与えてくれる相手を求めていたからです。「ベンチャー」や「ナスダック」もよく聞かれる語彙の一つでした。それ以前の日本企業は、会社の中で全てが完結することが建て前だったので、会社の外部と積極的に交流をしようという文化はなかったのです。バブル前になってやっと、「社外の人と積極的に交流しよう」という動きが出てきて、東京では幾つかの勉強会を舞台に同世代間で活発な交流が行われていました。ビットバレーの前身のようなものです。
そして不思議なことに、大企業に勤めていた彼らは徐々にベンチャーを起業・転職し、私とは疎遠になっていきました。その時は、「まあ、辞める人もいるわな」と思い、あまり気にもしませんでしたが、その後私自身も会社を辞めたし、Qネットに一緒に行ったシンクタンクの友人もMBA取得後に辞めて外資系コンサルティング会社に移籍し、現在はネットベンチャーの執行役員をやっています。
今となってはよく分かる気がします。そしうた交流を自ら求める、好奇心が旺盛で、新しいモノや場を創造する喜びを知り、組織の枠にとらわれない人間というのは、旧来の大企業の中でやっていけるはずがないのです。大企業で出世すると、予算や人事権などかなり大きな権限を手にすることができます。しかし、上司がその権限を有効に使わず、単なるコストの垂れ流しになっているのを見たときに、「それで付加価値がつけられないのなら、どんな大きな権限を持っていても無駄だ、そんなパフォーマンスの悪い仕事に付き合うこと自体が自分の時間の浪費だ」と判断するような若者たちが、あのころの勉強会には集まっていたし、またそういう価値観を交換し、相互干渉していたのです。
一度そうした考え方を身につけると、それを会社の人に理解してもらおうと幾ら説明しても無駄な努力です。時代遅れの社内文化と自分の意識の乖離がどんどん拡がって、以前は相思相愛であった会社との間に埋められない溝ができてしまい、最終的には会社を辞めることになるのです。だから、こうした場からベンチャー経営者が出てくるのはまったく意外なことではありません。これが、ネットベンチャー経営者人口構成の一つのピークを形成している30代半ばの層が持っている文化だと思います。そしてこの傾向が即ち、プロローグの結語で述べた「ITによる人の意識の変化」の方向性を指し示しているのです。勉強会という「場」は、参加者の意識を変化させる強い力を持っていたのですが、今後、こうした意識変化はネットを通して若年層から爆発的に拡がり、日本企業のビジネスの流儀や組織のあり方を根本的に変えていくはずです。この本の登場人物の生き様や発想法を克明に描き込むことによって私がお伝えしたかったのは、もう既にわれわれが突入しているネットワーク時代の新しい日本人の生き方であり、仕事観だったのです。ビジネス文化の正統性は、ベンチャーにこそあると思うのです。
この本のもう一つのテーマはネット上での「場」の作り方と運営方法についてです。インターネットはあくまでオープンなシステムなので、そこでビジネスをしようと思ったら自分の領分を区切って枠をつくり、そこにユーザーを惹きつけてお金を落としてもらう仕組みを完成させなければなりません。どのような区切り方をして、そこに自社の旗(ブランド)を立て、多くのユーザーに認知してもらうかが勝負なのです。
私が取り上げた起業家たちは、いずれも新しいメディアを通して、それまでになかった「場」を創出しました。最初に取り上げた2社、ダイヤルQ2を利用したポータルを構想したダイヤル・キュー・ネットワークと、世界初の無料プロバイダーシステムでインターネット界の制覇を企てたハイパーネットは経営に失敗しましたが、ここで培われた人脈やノウハウは決して無駄になることはなく、その後多くの果実をもたらすことになったのです。彼らの失敗の理由を振り返ることは、ネットワークづくりの成功要因を探るためには欠せないことなのです。
ビットバレーはネットベンチャーの相互扶助組織というメタ・レベルの「場」なのですが、彼らがブレイクした理由もやはり、場づくりについてのかなり洗練されたノウハウを持ち込んだことにあったと指摘することができます。日本中にインターネット、ひいてはITの重要性を認識させたという点において、ビットバレーの果たした役割はあまりにも大きいでしょう。またこの頃になると、若年層の対人関係の築き方や発想法は、見事にネット対応してきたように思われるのです。
そして最後に取り上げたiモードこそ、インターネット上に初めて出現した、多数者が利益を得ることのできる本格的なインフラと言うことができると思います。ドコモ自体の収益にはまだあまり貢献していないかもしれませんが、コンテンツ提供事業者や一般事業者、携帯利用者に多大な利便を提供し、1000万人が参加するまさに社会的なインフラと認知されているのです。iモードという「場」から、今後も多くの新しい価値が生み出されてくるでしょう。そして実は彼らは「インターネット」を否定することによってそうした場を実現することができたというのが重要なことなのです。彼らがつくったのはiモードという新しい「場」なのです。
サイバードは、提携企業に対して、iモードを含む全ての携帯端末へのポータルという独自のドメインを作ることに成功し、これが強みになっています。「場」は次元を超えてつくることができるはずなのです。
つまるところ、ネットワークの中にありながら、独自性を主張し、他者に価値を提供していく主体となれるかどうかが問題なのです。カネや情報など、ネットワークの中を流れるモノは、全てネットワークのルールに則して偏在しています。いかにして、それらの資源を自分の手元に集めるか。そしてニーズに応える新しい価値をつくり出すことができるか。その必要条件となるのが、徹底した顧客志向であり、スピードであり、ローコストオペレーションであり、誰もが自由に発言し、アイデアを評価し合うことができるオープンな場づくりであり、他者とのWin−Winのパートナーシップづくりであるはずです。これらの基本原則を外したところに、成功するビジネスモデルは成り立ち得ません。
個人単位でもまったく同じことが言えるでしょう。個人として社会の中で生きるためには、独自性の主張と価値の提供をシビアな基準で行う必要があります。会社に属していると、ここの水準がどうしても緩んできます。会社はこれまで、組織力でそれを補っていたのですが、不良債権を抱え、競争条件も厳しくなっている日本企業にはもうそんな余力は残っていません。とすると今後、個人が生き残るためには、「会社という枠を超えたネットワーク」の中における「自分の価値」を意識する必要がどうしても出てくるはずです。そう考え方を変えたとしても、社内と社外で人との付き合い方を変える必要はないでしょう。そうではなくて、分け隔てなくどちらでも通用するという基準で、社内文化の側をフラットな組織向けに変化させるべきだと思うのです。この点でも、日本企業の社内文化は、ネットベンチャーに追随しなければならないと私は思っています。
今や、役所から大企業に至るまで、そこに就職してしまえば定年まで安穏に日々を暮らせるという組織は、この国からはなくなってしまいました。会社の看板の陰で楽をすることはできなくなったのです。「だからあなたも、先手を取ってベンチャーを起業すべきだ」などとけしかけるつもりは毛頭ありません。私は起業の厳しさもリスクもよく知っています。そんなことを人に無責任に勧めるなど良心が許しません。しかし今後、すべての個人は、組織の庇護を当てにせず、自分がどれだけ「価値」を産むことができるかを仕事の上で追求して行かなければならなくなるはずです。社内的にも、人事測定の技法が発達し、個人のパフォーマンスがより厳しく問われるようになるでしょう。その時には、組織人でありながらも先鋭なベンチャー精神を持たなければ、組織の中で頭角を現すことはできないはずです。また、そうした人材を多く抱え続けることができない組織は、没落していく以外にはないでしょう。
今日を先取りし、なりふり構わず夢を追い続けた若者たちの姿の中に、ネットワーク時代のビジネスマンに求められる幾つかの要素を透かし見ることができるのではないでしょうか。私のつたない記述からなにがしかを看取していただければ幸いです。
ネットベンチャーの経営者たちは、ご存じの通り超人的に忙しい人たちです。この本の取材のために限られている時間資源を私のために割いてくださったみなさんに心から感謝致します。せっかくお話を伺わせて頂きながら、構成上カットせざるを得なかった部分もあります。伺わせて頂いたお話は、原稿のバックグラウンドとして十分反映させて頂きました。ご海容いただければ幸いです。また特に、匿名を条件にお話を伺わせていただいた方々にも深甚なる謝意を申し述べたく存じます。考えてみますと、私は今まで成功したビジネスの取材しか経験してきませんでした。事業が失敗したために、債権者や出資者に迷惑をかけることがどれほど辛いことかも初めて知ったような次第です。その十字架の重さに私は恐懼しました。にもかかわらず、辛い体験を明らかにして頂いたみなさんの勇気に、私は敬意を憶えずにはいられません。
第2章については、独自取材以外の部分はかなりのところ主人公板倉雄一郎さん本人の著書『社長失格』に頼って記述しております。快く引用、参照を許していただいた板倉さんに改めて御礼申し上げます。また、友人の木谷高明さんと、本荘修二さんには、原稿をご覧いただき貴重なご示唆を頂戴しました。重ねて御礼申し上げます。
取材はネットベンチャーブームの真っ只中であった2000年の3月、4月に集中して行い、主要部分の執筆は4月の終わりから5月いっぱいにかけて行いました。その後7月にプロローグを書き足し、ネットベンチャーのビジネスモデルの分析を主な内容とした第1章を全面削除しました。これによって、主題がよりはっきり浮かび上がったと思います。
私が、私の第1作となるこの本の構想を持ちかけたのは文藝春秋出版局の田中裕士さんでした。彼とは、私がプレジデント編集部在籍中にある勉強会で知り合い、その後メディア人限定のネットワークを立ち上げるときに、私がパートナーとして選んだ人物でした。新たなネットワークをつくるときは、組む相手が最大のポイントです。私は彼のネットワーカーとしての力量を信頼していました。この企画の進行にあたって、彼は私を完璧にサポートしてくれました。当初、私のネットベンチャーに対する認識はほぼゼロでしたが、彼は細かい資料の博捜から取材の手配まで水も漏らさぬ体制で私を支え、伴走してくれたのです。あまっさえ、実はこの本の本文の原稿は、全て手書きで書いたのですが、一部ワープロ打ちまで彼の手を煩わせてしまいました。もし彼がいなければ、私はこのあまりにも多い困難、あまりにも高い壁を一つひとつ乗り越えて、ゴールに飛び込むことは決してできなかったと断言できます。友人の矩を遙かに超えたご協力を賜った田中さんには、満腔の謝意を表したいと思います。田中さんの異動後、手練れの編集者下山進さんに仕事が引き継がれました。下山さんのお導きによって大胆な構成変更を行い、拙稿をなんとか世に出せるレベルにまで引き上げることができたと思います。誠に感謝の念に堪えません。
この本を御一読された方は、主人公たちの成功までの10年の道程を、ビルトゥングス・ロマン(教養小説)になぞらえることができると思われるかもしれません。その種の小説上の経験は、叙情的で甘美な詩情に還元されて記述されています。この本の主人公たちはたまさか勝利を手にしましたが、小説とは違って実際の人生の苦難はあまりに重苦しく、もし報われることがなければ暗黒です。そして報われないことの方が実際は多いことを忘れてはならないと思います。それでも成功する日を信じて挑戦し続ける姿勢が尊いのです。初めて本を書く私にとっては、自分の器を顧みず彼らの後を追ってこの稿を書き進めること自体が、常に未知への挑戦でしたし、主人公たちの人生を追体験することに他なりませんでした。筆を擱いた今、実に彼らのお蔭で、私自身が、ビルトゥングス・ロマンの登場人物のように、精神的に少しく成長することができたのではないかとすら思っているほどなのです。
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